歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第169回
―商家に強盗、京都で処刑―

本日、連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックしたらご覧になれます。

伊牟田尚平シリーズも今回で最終回です。
想定外の9回になってしまいました。
キリのいい10回までとも思ったのですが、あまり引っ張ってもどうかと思い、今回で打ち止めにしました。

それにしても、伊牟田は突然の破断というか自滅ですね。
それ以前もかなり乱暴なことはしていますが、私利私欲ではなく、一応彼なりの大義名分、正義に基づいた行動でした。
でも、商家への押し込み強盗は弁解の余地がありませんし、書く立場からも擁護するのはなかなか難しいです。
たしかに江戸市中の攪乱工作では相当乱暴なことはしたのでしょう。
近江長浜の商家を襲ったのもその延長線上にあると、本人は思っていたのでしょうか?
しかし、江戸とは事情が異なりますね。
押し込みのあとは、仲間たちと金を山分けしており、曲がりなりにも北越出陣の「軍用金」に転用しようとした形跡も見られません。

たしかに、高杉晋作や後藤象二郎など、藩金を飲み食いその他で乱費してしまった者も少なくないですが、強盗殺人はさすがに他人の見る目が違ってきますね。

伊牟田のこの落差は一体何なのか、私はよくわかりません。魔が差したとしか書きようがなかったです。
伊牟田なりの攘夷活動の一環ではとも書きましたが、もはや文久時代ではないですからね。時代錯誤もいいところです。
伊牟田はみずから自分の人生を「強制終了」させたとしかいいようがありません。その深奥には何があったのか、何が起こったのでしょうか?
薩摩には珍しいタイプの人物だけに、その「自業自得」が惜しまれます。

なお、伊牟田については、のちに贈位内申書が明治政府に提出され、名誉回復が図られようとしました。
しかし、『贈位諸賢伝』や『殉難録稿』にも伊牟田は立項されておらず、おそらく贈位は見送られたのではないかと思います。やはり強盗殺人では、名誉回復も憚られたのではないかと憶測します。
でも、贈位の有無は確証がとれなかったため、この点は留保して書きませんでした。今後の課題にしたいと思います。もしご存じの方がおいでなら、ご教示下さいませ。

次回から、近江屋事件=龍馬暗殺について書きます。
大河ドラマ観賞の参考にして下さい。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2010/10/25 21:11】 | さつま人国誌
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ながお
桐野様

こんばんわ、鹿児島出張お疲れさまでした。鶴は飛んでいましたか。
伊牟田尚平、自暴自棄と言うべきか、すっきりしない最期ですね。彼は一匹狼的な感じがするのですが、仲間引き連れて押しこみ殺人ですか。あれだけ活躍しておきながら、幕末の志士としては今ひとつ人気がないのはそのせいですかね。捕まってから処刑まで約一年の間、誰も救いの手を差しのべなかったのでしょうか。
延べ9回に渡る連載お疲れさまでした。次回からもこれまた楽しみにしております。

はじめまして
伊勢吉
桐野様

はじめまして
草莽の闘志伊牟田尚平、興味深く拝見しました。
尚平の最後は謎が多いですね。
「京都府史料」の内容は信頼できるものなのでしょうか?御用となって1年以上たって処刑されるのは普通のことだったのでしょうか?拷問もおこなわれていると思います。尚平は新政府にとって好ましい存在ではなかったはずですし、抹殺されたのでは?とも思います。種子島で生涯を終えていた方が幸せだったのかもしれねいですね。 これかも何か新し発見があれば教えていただけることを楽しみにしています。


桐野
ながおさん

鶴は干拓地に見に行きました。
まとまった数を見たのは久しぶりでした。
すでに700羽ほど飛来しているとのことでした。
その写真もあるので、そのうち掲載したいと思います。

伊牟田についてはたしかに収監されていたのは1年ほどですね。
薩摩藩の誰かが救いの手を差し伸べなかったのか、たしかに気になりますが、罪状があまり同情の余地がないのと、政権を奪取したばかりで、依怙の沙汰はいかがかと評判を気にした可能性もありますね。
討幕に功のある伊牟田を西郷らが見捨てたという見方もあるかもしれませんが、西郷らは伊牟田らが暴走したと考えていたかもしれず、結果オーライだからといって、恩義を感じていたかどうかもよくわかりませんね。
相楽総三の一件も含めて、このあたりはたしかに難しいところです。

京都府史料
桐野
伊勢吉さん

コメント有難うございます。
「京都府史料」は信頼できると思います。
伊牟田だけでなく、上田務など容疑者の供述調書が多数収録されています。

あるいは、拷問による自白であって、任意の自白でないから信用できないのではという意味でしょうか?
拷問の有無はわかりませんが、供述内容はそれほどでっち上げとはいえないように思います。

伊牟田が抹殺されたのかどうかについては、個人的にはそうではないという感触がありますが、同様な疑問を述べられたながおさんへの私のコメントをご参照下さい。

はじめまして&こんばんは
yoshiko
ご多忙中誠に恐れ入ります。
時々拝読し歴史の勉強をさせていただいてます。
伊牟田尚平どんの最期についてですが、
某有名歴史家が「冤罪のまま最期を遂げたように思われます。」と書かれてある本が手元にあります。冤罪説を信じているので複雑な心境で読ませていただきました。
「さつま人国誌」を購入し只今勉強中です。
今後ともよろしくお願いします。


冤罪説
桐野
yoshikoさん

はじめまして。
冤罪説をどなたが唱えておられるか、存じませんが、その根拠はどこにあるのでしょうか?

伊牟田の供述書は京都府や国立公文書館に所蔵されています。また伊牟田だけでなく、仲間たち数人の供述調書もあり、ほぼ同様のことが書かれています。
事件そのものの実在は否定しようがありません。

冤罪だというには、①供述書が偽文書か、②事件そのものが拷問その他ででっち上げられたかのどちらかしかないでしょうね。

①はなかなか成り立たないと思います。
仮に②だとして、誰があるいはどんな勢力が伊牟田たちを陥れる必要があるのでしょうか?
まあ、こんなときの常識的な考えは、伊牟田は討幕維新の裏側を知りすぎていたから、その発覚を恐れる連中から抹殺されたという「謀略」説でしょうね。
だから、相楽総三も処刑され、益満休之助も戦死ということになっているけど、じつは殺害されたとか?

しかし、幕末維新の裏側(関東攪乱工作など)を知っている人間はほかにもいて健在です。しかも、いろいろな形で証言しています。秘密を守るためなら、全員抹殺しないといけないのですが、そうなっていません。
この説も成立しがたいのではないでしょうか?

伊牟田が襲撃後、すぐ越後に行き、奪った金を活動資金として活用したというのなら、まだ弁護の余地もありますが、越後にも行かず、京都周辺でうろうろして、金を浪費した挙句、捕縛されたのですから、なかなか弁護できませんね。
ふつうの強盗殺人犯とどこが違うのでしょうか?

そんなわけで、個人的には冤罪説には納得できません。


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この記事へのコメント
桐野様

こんばんわ、鹿児島出張お疲れさまでした。鶴は飛んでいましたか。
伊牟田尚平、自暴自棄と言うべきか、すっきりしない最期ですね。彼は一匹狼的な感じがするのですが、仲間引き連れて押しこみ殺人ですか。あれだけ活躍しておきながら、幕末の志士としては今ひとつ人気がないのはそのせいですかね。捕まってから処刑まで約一年の間、誰も救いの手を差しのべなかったのでしょうか。
延べ9回に渡る連載お疲れさまでした。次回からもこれまた楽しみにしております。
2010/10/26(Tue) 00:09 | URL  | ながお #-[ 編集]
はじめまして
桐野様

はじめまして
草莽の闘志伊牟田尚平、興味深く拝見しました。
尚平の最後は謎が多いですね。
「京都府史料」の内容は信頼できるものなのでしょうか?御用となって1年以上たって処刑されるのは普通のことだったのでしょうか?拷問もおこなわれていると思います。尚平は新政府にとって好ましい存在ではなかったはずですし、抹殺されたのでは?とも思います。種子島で生涯を終えていた方が幸せだったのかもしれねいですね。 これかも何か新し発見があれば教えていただけることを楽しみにしています。
2010/10/26(Tue) 21:54 | URL  | 伊勢吉 #-[ 編集]
ながおさん

鶴は干拓地に見に行きました。
まとまった数を見たのは久しぶりでした。
すでに700羽ほど飛来しているとのことでした。
その写真もあるので、そのうち掲載したいと思います。

伊牟田についてはたしかに収監されていたのは1年ほどですね。
薩摩藩の誰かが救いの手を差し伸べなかったのか、たしかに気になりますが、罪状があまり同情の余地がないのと、政権を奪取したばかりで、依怙の沙汰はいかがかと評判を気にした可能性もありますね。
討幕に功のある伊牟田を西郷らが見捨てたという見方もあるかもしれませんが、西郷らは伊牟田らが暴走したと考えていたかもしれず、結果オーライだからといって、恩義を感じていたかどうかもよくわかりませんね。
相楽総三の一件も含めて、このあたりはたしかに難しいところです。
2010/10/29(Fri) 21:21 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
京都府史料
伊勢吉さん

コメント有難うございます。
「京都府史料」は信頼できると思います。
伊牟田だけでなく、上田務など容疑者の供述調書が多数収録されています。

あるいは、拷問による自白であって、任意の自白でないから信用できないのではという意味でしょうか?
拷問の有無はわかりませんが、供述内容はそれほどでっち上げとはいえないように思います。

伊牟田が抹殺されたのかどうかについては、個人的にはそうではないという感触がありますが、同様な疑問を述べられたながおさんへの私のコメントをご参照下さい。
2010/10/29(Fri) 21:29 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
はじめまして&こんばんは
ご多忙中誠に恐れ入ります。
時々拝読し歴史の勉強をさせていただいてます。
伊牟田尚平どんの最期についてですが、
某有名歴史家が「冤罪のまま最期を遂げたように思われます。」と書かれてある本が手元にあります。冤罪説を信じているので複雑な心境で読ませていただきました。
「さつま人国誌」を購入し只今勉強中です。
今後ともよろしくお願いします。
2010/11/01(Mon) 22:56 | URL  | yoshiko #AZXm.WLo[ 編集]
冤罪説
yoshikoさん

はじめまして。
冤罪説をどなたが唱えておられるか、存じませんが、その根拠はどこにあるのでしょうか?

伊牟田の供述書は京都府や国立公文書館に所蔵されています。また伊牟田だけでなく、仲間たち数人の供述調書もあり、ほぼ同様のことが書かれています。
事件そのものの実在は否定しようがありません。

冤罪だというには、①供述書が偽文書か、②事件そのものが拷問その他ででっち上げられたかのどちらかしかないでしょうね。

①はなかなか成り立たないと思います。
仮に②だとして、誰があるいはどんな勢力が伊牟田たちを陥れる必要があるのでしょうか?
まあ、こんなときの常識的な考えは、伊牟田は討幕維新の裏側を知りすぎていたから、その発覚を恐れる連中から抹殺されたという「謀略」説でしょうね。
だから、相楽総三も処刑され、益満休之助も戦死ということになっているけど、じつは殺害されたとか?

しかし、幕末維新の裏側(関東攪乱工作など)を知っている人間はほかにもいて健在です。しかも、いろいろな形で証言しています。秘密を守るためなら、全員抹殺しないといけないのですが、そうなっていません。
この説も成立しがたいのではないでしょうか?

伊牟田が襲撃後、すぐ越後に行き、奪った金を活動資金として活用したというのなら、まだ弁護の余地もありますが、越後にも行かず、京都周辺でうろうろして、金を浪費した挙句、捕縛されたのですから、なかなか弁護できませんね。
ふつうの強盗殺人犯とどこが違うのでしょうか?

そんなわけで、個人的には冤罪説には納得できません。
2010/11/04(Thu) 19:51 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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