歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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大河ドラマ「龍馬伝」第43回「船中八策」

史実から遊離しすぎていて、もうあまり書きたくないのですが、「船中八策」に関してだけは遅ればせながら、少し触れておきます。

慶応3年(1867)6月、長崎を発して大坂に向かう土佐藩船「夕顔」の船上(船中?)で龍馬が発案し、それを長岡謙吉が書き留めたというのが、通説としての「船中八策」です。

しかし、龍馬の自筆はむろん、長岡が書いたものも残っていません。
というか、おそらくもともと存在しません。
なぜなら「船中八策」は明治中期以降になって創作されたからです。
研究者でも「船中八策」が史実だと信じている人がいるので、ドラマがそう描いてもしかたないと思っています。

ドラマでは、龍馬が大政奉還を主意とする八策を交流のあった師匠や友人から学んだものをまとめあげたという描き方をしておりました。
横井小楠はいいとしても、長州が木戸・久坂・高杉と3人もいるのに、薩摩は1人もなしです。
脚本家が長州出身ゆえの身びいきかどうか知りませんが、薩摩無視は相変わらずですし、ましてや大政奉還をおそらく最初に公にしたと思われる大久保一翁の名前すら出てきませんでしたね。

「船中八策」はそれほど独創的ではありませんし、実際、大政奉還は「船中八策」よりも前に西郷吉之助と大久保一蔵が唱えていることはほとんど知られていないと思うので、特記しておきます。

島津家のなかで、久光から始まる玉里島津家の一大史料集『玉里島津家史料五』1660号が西郷・大久保連名による建白書です。これは「丁卯五月」の朱書があり、西郷・大久保の筆ではありませんが、文面が四侯会議に臨むにあたっての心構えを久光に建言していることから、慶応3年5月に書かれたのは間違いありません。次のように書かれています。

「いづれ天下之政柄は 天朝え帰し奉り、幕府は一大諸侯に下り、諸侯と共に朝廷を補佐し、天下の公議を以て所置を立て、外国の定約におひても 朝廷の御所置に相成候而」云々

龍馬の「船中八策」より1カ月早く、西郷・大久保は大政奉還(徳川家が諸侯の列に下ることや諸侯会議=公議政体)を主張しています。

さて、ドラマでは薩土盟約の場面で、突如としてミッチーの大久保一蔵が登場してきました。
予想以上にかっこよかったですが、でも龍馬をにらみつけたあと、「邪魔だ」とつぶやいていましたね。
近江屋事件への伏線だと誰でも思ったことでしょう。
没後130年たっても、相変わらずこのような描き方しかされないのかと思うと、甲東の孤高に同情を禁じえません。

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【2010/10/30 00:26】 | 龍馬伝
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にぃやん
ドラマなんだから
いいじゃないですか・・・

自己満足ですか?こんなブログ


通りすがり
失礼します。

見た限り長岡謙吉は存在すらしないという設定のようですね。龍馬とその近くの人物以外ほぼ悪役というのもある意味すっきりした感じではありますが、もはや花神にも翔ぶが如くにも遠く及ばなかったと結論出ちゃってますね。

船中八策についてですが木村幸比古さんの『龍馬暗殺の謎』という本を読んだところ、船中八策以外の箇条書き建白書で赤松小三郎の他、宮津藩士の嵯峨根良吉という人が書いたものもあったとのことでした。
ひょっとして当時箇条書きの建白書を書く事が流行っていたのではないかという気がしました。

>にぃやん
影響力の大きい映像メディアなのだから、製作陣は自らの影響力の大きさについてもっと責任感を持つべきではないでしょうか。


-
そもそも大河ドラマをノンフィクションとして観てる人はどれほどいるでしょう?

いちいちドラマの内容を事細かに挙げて事実だ、事実でない、と論ずるのはそれこそ自己満足と思います。

ま、本人のブログなんで何を書こうが勝手ですが。


私は助かっています。
NAO4@吟遊詩人
私は、大河ドラマも見放さずに楽しく見ておりますが、ちょっと辛口ですが史実を語ってくださる桐野先生のブログには感謝しております。

船中八策は、「龍馬のオリジナルではない。」ということは知っていても、それ自体存在しなかったとは意識しておりませんで、明言していただくと助かります。

教科書では、山内容堂が徳川慶喜に大政奉還を進言したことになっていたと思いますが、船中八策はどのように扱っていたか記憶になく、興味深いです。

幕末も「歴史」として勉強しなおす必要があると思っている次第です。

新政府綱領八策
NAO4@吟遊詩人
恥の上塗りになるかもしれませんが、NHK大河ドラマストーリー完結編を見ていたところ、

「新政府綱領八策」(下関市立長府博物館蔵)の写真が掲載されていました。

「慶應丁卯十一月 坂本直柔」と署名があり、本物なら、龍馬が、新政府のプランを持っていたように思えます。また「船中八策」のモデルになったものかなあと思いました。

勉強になります
卯月かいな
西郷・大久保が大政奉還を唱えていたとは知りませんでした。
そうなると、龍馬暗殺の薩摩黒幕説もないわけで……。
大久保ファンとしては、かっこよすぎるミッチー大久保は歓迎しつつも、分かりやすく悪役っぽくて、真の姿が描かれないことは残念ですね。


164go
「龍馬伝」についての解説、気が進まないとおっしゃっていた先生に
敢えて続けて欲しいとお願いしたのはわたしです。

お気に触る方もいらっしゃるとは意外でした。失礼いたしました。
しかし、私と同じように、史実を先生に伺いたい方がおられるのも事実です。

わたしの周囲にも、「水戸黄門」をフィクションと思っている方は多いけれど
NHKの大河ドラマですしフィクションないしはかなり史実に近いと思っている方も、
実は多いのですよ。
このサイトはそういった誤解を解くためにとても重宝しています。

テレビのそれぞれの番組でそれぞれの龍馬さんが登場するがごとく
ネットの中でもいろいろな龍馬さんがおられますよね。
それに
「今回の放送はこうだったけど、本当のところはどうなの?」
ってわたし個人も思ってしまうんです。

そんな稚拙なわたしたちのお勉強だとご理解いただいて、
寛容なお気持ちでお許し願えないでしょうか。


-
龍馬が八面六臂の大活躍で日本を変えていく方が一般受けするんですよね。
世間はかっこよく生きて嵐のように消えていった「英雄」を見たがっているんであって、「ただの一浪士」を見たいんじゃありません。
ノンフィクションの伝記ではなく、エンターテイメント性の高いドラマなんですし。

勿論、こういう「これ違うだろ?」という活動が間違ってるとか、やるべきではないとか言っているわけではありません。
ただ、間違いがあった所でしょうがないんじゃないか、一般向けの娯楽だし。と言いたいだけ。


-
わざわざ、他人のブログに来て捨て台詞を残されるようなことをやってるとは思えませんが。

私も幕末史が好きで、本当の史実がどうであったのかを知りたいので、専門家の桐野氏のこのブログはとても重宝していますね。

民放の娯楽時代劇とは違って大河ドラマに期待されるのは「本当の史実の『隙間』を創作」してほしいということですね。史実で知られていることがあっても、その史実の間にはやはり「飛び」がある、そこを創作してほしい、と。そして史実に創作をプラスして面白くしているのだったら、大河ドラマとして素晴らしいのですが。その創作が上手ければ、大袈裟に言えば、史実は変わらずとも、新しい見方を提示することができると思うのですが。「そういう解釈があったのか、そういう見方があったのか」と。
でも、史実を最初から無視して書き変えたり、歴史の時系列まで変えては「歴史上の人物にそんなに魅力がないのかな?」と突っ込みたくなりますね。

特に坂本龍馬については歴史の捏造が堂々とまかり通る風潮があるので、特に警戒しています。史実の坂本龍馬も十分魅力的であるが故に、真実の坂本龍馬がどうであったのかを知る機会を失うのは、すごく勿体ないですね。

これは、マスコミの責任も大きいのではないでしょうか。はっきり言って、日本のマスコミはかなりレベルが低いと思います。

新政府綱領八策
桐野
NAO4@吟遊詩人さん

「船中八策」と違って、「新政府綱領八策」は本物ですね。
2点現存していますが、少なくとも1点は龍馬自筆です。2点ともそうじゃないかと思いますが、断定しているかどうか、私もよく知りません。

同じものが少なくとも2点現存しているということは、もっとあった可能性もありますね。おそらく龍馬が各方面に配布したんでしょう。有名な○○○が誰なのかも問題ですね。

「新政府綱領八策」が混同されて「船中八策」と呼ばれたこともあります。
 おそらく当初「船中八策」を創作しようというとき、「新政府綱領八策」が出てきて、これだと飛びついて、「八策」の形式になったのだと考えられます。

ですから、仰せのように、「船中八策」のモデル(形式上の)になったといえそうです。


大政奉還
桐野
卯月かいなさん

西郷・大久保の建白書のほうが「船中八策」よりも先に大政奉還を主張していたとはいえると思います。

ただ、問題はどちらが先かというのではなくて、当時、大政奉還→王政復古(別の言い方をすると、政令二途→政令一途)という考え方は、薩摩・土佐・尾張・越前・芸州など多くの開明的な諸藩で共通認識になっていたという点が大事だと思います。

だから、そういう諸藩は結束して朝廷や幕府に働きかけを強めたわけで、あまり知られていませんが、土佐藩が大政奉還建白書を提出した3日後に芸州藩も同様の建白書を提出しています。

「船中八策」はそうした動きのなかで、土佐藩側(とくに土佐勤王党の系統や明治期の自由党)の立場から、龍馬伝説の一環として形成されたということだと思います。


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コメント
この記事へのコメント
ドラマなんだから
いいじゃないですか・・・

自己満足ですか?こんなブログ
2010/10/30(Sat) 03:43 | URL  | にぃやん #SIR.BgG2[ 編集]
失礼します。

見た限り長岡謙吉は存在すらしないという設定のようですね。龍馬とその近くの人物以外ほぼ悪役というのもある意味すっきりした感じではありますが、もはや花神にも翔ぶが如くにも遠く及ばなかったと結論出ちゃってますね。

船中八策についてですが木村幸比古さんの『龍馬暗殺の謎』という本を読んだところ、船中八策以外の箇条書き建白書で赤松小三郎の他、宮津藩士の嵯峨根良吉という人が書いたものもあったとのことでした。
ひょっとして当時箇条書きの建白書を書く事が流行っていたのではないかという気がしました。

>にぃやん
影響力の大きい映像メディアなのだから、製作陣は自らの影響力の大きさについてもっと責任感を持つべきではないでしょうか。
2010/10/30(Sat) 08:06 | URL  | 通りすがり #sSHoJftA[ 編集]
そもそも大河ドラマをノンフィクションとして観てる人はどれほどいるでしょう?

いちいちドラマの内容を事細かに挙げて事実だ、事実でない、と論ずるのはそれこそ自己満足と思います。

ま、本人のブログなんで何を書こうが勝手ですが。
2010/10/30(Sat) 21:45 | URL  |  #-[ 編集]
私は助かっています。
私は、大河ドラマも見放さずに楽しく見ておりますが、ちょっと辛口ですが史実を語ってくださる桐野先生のブログには感謝しております。

船中八策は、「龍馬のオリジナルではない。」ということは知っていても、それ自体存在しなかったとは意識しておりませんで、明言していただくと助かります。

教科書では、山内容堂が徳川慶喜に大政奉還を進言したことになっていたと思いますが、船中八策はどのように扱っていたか記憶になく、興味深いです。

幕末も「歴史」として勉強しなおす必要があると思っている次第です。
2010/10/31(Sun) 08:56 | URL  | NAO4@吟遊詩人 #laIirjiw[ 編集]
新政府綱領八策
恥の上塗りになるかもしれませんが、NHK大河ドラマストーリー完結編を見ていたところ、

「新政府綱領八策」(下関市立長府博物館蔵)の写真が掲載されていました。

「慶應丁卯十一月 坂本直柔」と署名があり、本物なら、龍馬が、新政府のプランを持っていたように思えます。また「船中八策」のモデルになったものかなあと思いました。
2010/10/31(Sun) 11:37 | URL  | NAO4@吟遊詩人 #laIirjiw[ 編集]
勉強になります
西郷・大久保が大政奉還を唱えていたとは知りませんでした。
そうなると、龍馬暗殺の薩摩黒幕説もないわけで……。
大久保ファンとしては、かっこよすぎるミッチー大久保は歓迎しつつも、分かりやすく悪役っぽくて、真の姿が描かれないことは残念ですね。
2010/10/31(Sun) 12:46 | URL  | 卯月かいな #pgWDSlIk[ 編集]
「龍馬伝」についての解説、気が進まないとおっしゃっていた先生に
敢えて続けて欲しいとお願いしたのはわたしです。

お気に触る方もいらっしゃるとは意外でした。失礼いたしました。
しかし、私と同じように、史実を先生に伺いたい方がおられるのも事実です。

わたしの周囲にも、「水戸黄門」をフィクションと思っている方は多いけれど
NHKの大河ドラマですしフィクションないしはかなり史実に近いと思っている方も、
実は多いのですよ。
このサイトはそういった誤解を解くためにとても重宝しています。

テレビのそれぞれの番組でそれぞれの龍馬さんが登場するがごとく
ネットの中でもいろいろな龍馬さんがおられますよね。
それに
「今回の放送はこうだったけど、本当のところはどうなの?」
ってわたし個人も思ってしまうんです。

そんな稚拙なわたしたちのお勉強だとご理解いただいて、
寛容なお気持ちでお許し願えないでしょうか。
2010/10/31(Sun) 18:15 | URL  | 164go #fzZwSRbU[ 編集]
龍馬が八面六臂の大活躍で日本を変えていく方が一般受けするんですよね。
世間はかっこよく生きて嵐のように消えていった「英雄」を見たがっているんであって、「ただの一浪士」を見たいんじゃありません。
ノンフィクションの伝記ではなく、エンターテイメント性の高いドラマなんですし。

勿論、こういう「これ違うだろ?」という活動が間違ってるとか、やるべきではないとか言っているわけではありません。
ただ、間違いがあった所でしょうがないんじゃないか、一般向けの娯楽だし。と言いたいだけ。
2010/10/31(Sun) 21:54 | URL  |  #vhI5QSCw[ 編集]
わざわざ、他人のブログに来て捨て台詞を残されるようなことをやってるとは思えませんが。

私も幕末史が好きで、本当の史実がどうであったのかを知りたいので、専門家の桐野氏のこのブログはとても重宝していますね。

民放の娯楽時代劇とは違って大河ドラマに期待されるのは「本当の史実の『隙間』を創作」してほしいということですね。史実で知られていることがあっても、その史実の間にはやはり「飛び」がある、そこを創作してほしい、と。そして史実に創作をプラスして面白くしているのだったら、大河ドラマとして素晴らしいのですが。その創作が上手ければ、大袈裟に言えば、史実は変わらずとも、新しい見方を提示することができると思うのですが。「そういう解釈があったのか、そういう見方があったのか」と。
でも、史実を最初から無視して書き変えたり、歴史の時系列まで変えては「歴史上の人物にそんなに魅力がないのかな?」と突っ込みたくなりますね。

特に坂本龍馬については歴史の捏造が堂々とまかり通る風潮があるので、特に警戒しています。史実の坂本龍馬も十分魅力的であるが故に、真実の坂本龍馬がどうであったのかを知る機会を失うのは、すごく勿体ないですね。

これは、マスコミの責任も大きいのではないでしょうか。はっきり言って、日本のマスコミはかなりレベルが低いと思います。
2010/11/01(Mon) 01:56 | URL  |  #-[ 編集]
新政府綱領八策
NAO4@吟遊詩人さん

「船中八策」と違って、「新政府綱領八策」は本物ですね。
2点現存していますが、少なくとも1点は龍馬自筆です。2点ともそうじゃないかと思いますが、断定しているかどうか、私もよく知りません。

同じものが少なくとも2点現存しているということは、もっとあった可能性もありますね。おそらく龍馬が各方面に配布したんでしょう。有名な○○○が誰なのかも問題ですね。

「新政府綱領八策」が混同されて「船中八策」と呼ばれたこともあります。
 おそらく当初「船中八策」を創作しようというとき、「新政府綱領八策」が出てきて、これだと飛びついて、「八策」の形式になったのだと考えられます。

ですから、仰せのように、「船中八策」のモデル(形式上の)になったといえそうです。
2010/11/01(Mon) 19:23 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
大政奉還
卯月かいなさん

西郷・大久保の建白書のほうが「船中八策」よりも先に大政奉還を主張していたとはいえると思います。

ただ、問題はどちらが先かというのではなくて、当時、大政奉還→王政復古(別の言い方をすると、政令二途→政令一途)という考え方は、薩摩・土佐・尾張・越前・芸州など多くの開明的な諸藩で共通認識になっていたという点が大事だと思います。

だから、そういう諸藩は結束して朝廷や幕府に働きかけを強めたわけで、あまり知られていませんが、土佐藩が大政奉還建白書を提出した3日後に芸州藩も同様の建白書を提出しています。

「船中八策」はそうした動きのなかで、土佐藩側(とくに土佐勤王党の系統や明治期の自由党)の立場から、龍馬伝説の一環として形成されたということだと思います。
2010/11/01(Mon) 19:29 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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