歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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「雨の逃亡者」

お元の一件、そんな風に決着つけたんですねえ。
引っ張りましたねえ。横道に思い切りそれましたねえ。

お元は実在した可能性は高いですが、隠れキリシタンだったかどうかはわかりませんというか、おそらく創作でしょう。

このドラマが長崎での出来事で隠れキリシタンを扱おうとした発想は、ほとんどひとつの理由しかないと思います。
龍馬と親交の深かった土佐藩大目付の佐々木高行の日記『保古飛呂比』に、龍馬がキリシタン=「耶蘇教」に触れていることに想を得たのでしょう。

同日記慶応3年(1867)8月30日条
「夜に入り、才谷(龍馬)来る。終夜談話、止宿す。種々談話の末才谷曰く、此度の事若し成らずば、耶蘇教を以て人心を煽動し、幕府を倒さん。自分曰く、耶蘇教を以て幕府を倒す後害あらん。吾が国体を如何、吾は神道を基礎とし、儒道を輔翼とせんと。才谷曰く、今日かくのごとくにてとても事は成らずと」云々

「此度の事」というのは薩長との武力挙兵計画です。龍馬もそれに関与しているわけです。
そして、もしこの挙兵が失敗したら、「耶蘇教」を煽動してでも幕府を倒そうと龍馬が放言したと、佐々木は書き留めています。むろん、酒の上での戯れ言でしょう。しかし、龍馬が討幕にのめり込んでいた様子はよくわかります。

また、この記事から、龍馬がキリシタンに同情的で理解があったとは読み取れません。むしろ、潜在的な反幕勢力になりうるキリシタンを利用しようというご都合主義的な感じですね。

なお、龍馬が佐々木の役宅を訪ねたこの日、同日記には「風雨」とあります。お元が雨の中、船出したのはそれにちなんだものか。

なお、最後の龍馬紀行で、隠れキリシタンが大浦天主堂の神父に告白したことを紹介していましたが、その顛末を拙連載「さつま人国誌」で少し書いたことがあります。ここです。よかったら、読んで下さい。


龍馬がアーネスト・サトウに会っているのはたしかです。
それも、土佐と長崎で会っていますね。
サトウの著『一外交官の見た明治維新』や、上記佐々木の『保古飛呂比』に記事があります。
イカロス号事件の尋問は最初、土佐で行われ、らちが明かなかったため、その後、長崎に交渉の舞台を移しました。
しかも、土佐から長崎に船で移動するとき、龍馬と佐々木は夕顔丸(船中八策を発案したという)でサトウと同船しています。
サトウは同国人が殺され、しかも海援隊に嫌疑がかかっていたので、龍馬への印象は当然よくありませんでした。
海援隊に嫌疑がかかったのは、事件直後、偶然にも海援隊士が乗り込んだ土佐藩船が長崎港を急いで出航していたことが、怪しいと疑われたのが一番の理由だったような。

なお、ドラマではイギリス人水兵殺害の犯人が筑前福岡藩士だと海援隊の連中が突き止めていましたが、たしか犯人が判明し、すでに自害していたことが明らかになったのは明治になってからだと思います。

イカロス号事件は、龍馬にとっては消耗戦でした。
薩長との挙兵計画を進めなければならないのに、この事件のために2カ月ほど時間を浪費しています。
また長崎奉行所はイギリスの肩を持っていたので、龍馬の矛先は奉行所にも向けられていたと思います。
同年8月下旬頃とされる龍馬が佐々木高行に宛てた書簡(『龍馬の手紙』95号)には「戦争中」とか「戦死」という言葉が出てきます。むろん比喩で、イカロス号事件でイギリスや長崎奉行所を向こうに回して論戦することをたとえたものですが、実際、落命するかもしれないとどこかで思っていたかも知れません。

というのは、この龍馬書簡、遺書めいているのです。

「先ず、西郷(吉之助)、大久保越中(一翁)の事、戦争中にもかたほ(片頬)にかかり、一向わすれ申さず、若しや戦死をとげ候とも、上許の両人の自手にて唯一度の香花をたむけくれ候えば、必ず成仏致し候こと、既に決論の処なり」

もし自分が「戦死」したら、西郷と大久保一翁の二人だけには、自分の墓に香華を手向けてほしい。そうしてくれたら、自分は安心して成仏できるというわけです。
龍馬がイカロス号事件で相当のストレスを抱えていたことを、この書簡は示しています。
それと同時に、龍馬にとって、大久保一翁とともに西郷がどのような存在だったかもよくわかります。
自分の墓にこの人だけには参りに来てほしいとは、どのような意味か。自分の立場になって考えてみたらわかりますよね。あなたなら誰に来てもらいたいですか?

こうした龍馬の「肉声」をまのあたりにすれば、薩摩黒幕説や西郷黒幕説が何やら空々しく見えるのは私だけでしょうか?
あるいは、これは龍馬の片思いにすぎず、西郷の心情は別だよとでも反論されますかね。そうだとしたら、龍馬はよっぽどのお人好しですな(笑)。

イカロス号事件については、以前、小学館「てらこや」の講座でみっちりやったことがあるので、もう少し詳しく書けるのですが、忙しいので割愛します。

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【2010/10/31 22:58】 | 龍馬伝
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市川
桐野先生、こんばんは。

先生のコメントや龍馬を取り巻く周囲を調べると、改めて幕末の志士たちの偉大さを感じます。
同時に龍馬がもっと現実的な革命家であると思いました。
もし暗殺されなかったら、戊辰の役にも積極的に参加したのではないでしょうか。

せっかく出てきた大久保利通も、やはり暗いだけである意味イメージ通り。というか暗いと思います、薩摩藩は。辺境であるが故にそうさせるのか……。



辺境?
桐野
市川さん

ドラマのうえでは、大久保その他は暗いイメージで描かれていますが、史実とは別ニ考えたほうがいいと思います。

辺境とはいい条、ふつうの薩摩や薩摩人のイメージは南国特有の明るく陽気というものだと思いますが……。


市川
辺境とは失礼だったと思います。お詫びします。
いよいよ龍馬伝もクライマックスなので、製作者側の考えるラストを楽しみにしておこうと思います。

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コメント
この記事へのコメント
桐野先生、こんばんは。

先生のコメントや龍馬を取り巻く周囲を調べると、改めて幕末の志士たちの偉大さを感じます。
同時に龍馬がもっと現実的な革命家であると思いました。
もし暗殺されなかったら、戊辰の役にも積極的に参加したのではないでしょうか。

せっかく出てきた大久保利通も、やはり暗いだけである意味イメージ通り。というか暗いと思います、薩摩藩は。辺境であるが故にそうさせるのか……。

2010/11/01(Mon) 23:07 | URL  | 市川 #-[ 編集]
辺境?
市川さん

ドラマのうえでは、大久保その他は暗いイメージで描かれていますが、史実とは別ニ考えたほうがいいと思います。

辺境とはいい条、ふつうの薩摩や薩摩人のイメージは南国特有の明るく陽気というものだと思いますが……。
2010/11/04(Thu) 19:53 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
辺境とは失礼だったと思います。お詫びします。
いよいよ龍馬伝もクライマックスなので、製作者側の考えるラストを楽しみにしておこうと思います。
2010/11/05(Fri) 13:21 | URL  | 市川 #-[ 編集]
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