歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
南日本新聞連載「さつま人国誌」第171回
―西郷たちの身代わりか―

連載が本日更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックしていただければご覧になれます。

今回は龍馬暗殺の2回目です。
この間、いろいろな媒体で紹介している大久保一蔵宛ての岩倉具視書簡(慶応3年10月16日付)を中心に、龍馬暗殺の背景に迫りました。

大河ドラマ「龍馬伝」と私見が異なるのは、龍馬は不戦平和主義者ではないこと(むしろ、いわゆる武力討幕派だったこと)と、薩摩藩は大政奉還に反対しておらず、むしろ支持し、それを骨抜きにされないように徹底する立場だったことです。
すなわち、龍馬と薩摩藩の間にはその政治的立場において基本的な対立はありえないと思っています。

常識的に考えればわかることですが、大政奉還の最大の反対勢力は会津藩を中心とした幕府内強硬派(新選組や見廻組を含む)です。彼らは幕府の存続を望んでいたので、大政奉還には大反対で、それを推進した土佐藩だけでなく、薩芸も含めた3藩の要人に政治テロを実行しようというところまで思い詰めていたわけです。

要は幕府を存続させるか否かが最大の政治課題であり、すなわち、「廃幕」派と「保幕」派の対立にこそ着目すべきです。
武力討幕派でもあり、大政奉還にも関わる龍馬を襲撃する政治的理由があるのは誰か、どの勢力なのか明らかでしょう。

今井信郎がのちに、龍馬のことを「海援隊の軍艦が討幕の先兵として江戸に攻めてくるから危険」(今井は海援隊が海軍の大組織だと思っていた)だとか、「土佐藩の藩論を(佐幕から大政奉還に)変えた男」だから襲撃したと述べています。
前者は誤解ですが、後者は当たっているでしょう。

薩摩藩黒幕説のおかしさは明らかだと思うのですが……。

もっと詳しくお知りになりたい方はここをご覧下さい。武蔵野大学市民講座で龍馬暗殺について考えます。

よろしければ、下記をクリックして下さい。
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【2010/11/08 14:23】 | さつま人国誌
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ながお
桐野様 こんばんわ

大政奉還を推進する勢力の中で、龍馬が一番標的にしやすかったのでしょうね。西郷たちは帰国してしまったし、龍馬は薩摩にも土佐にも気兼ねして藩邸に入らず下宿をしていましたし、狙いやすかったのでは。また龍馬は危険を察知して新しい下宿を探していました。もし襲われたら戦って土佐藩邸へ入るとも言っていましたが、これは寺田屋で何とか切り抜けた体験があったからとも思われます。でも今度ばかりは敵の方が一枚上でした。いっそのことどこかに身をひそめてくれればよかったのに。

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桐野様 こんばんわ

大政奉還を推進する勢力の中で、龍馬が一番標的にしやすかったのでしょうね。西郷たちは帰国してしまったし、龍馬は薩摩にも土佐にも気兼ねして藩邸に入らず下宿をしていましたし、狙いやすかったのでは。また龍馬は危険を察知して新しい下宿を探していました。もし襲われたら戦って土佐藩邸へ入るとも言っていましたが、これは寺田屋で何とか切り抜けた体験があったからとも思われます。でも今度ばかりは敵の方が一枚上でした。いっそのことどこかに身をひそめてくれればよかったのに。
2010/11/11(Thu) 00:37 | URL  | ながお #-[ 編集]
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