歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第172回
―先祖は甑島流罪の公家―

先週は休刊日でお休みでした。2週間ぶりの再開です。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば,ご覧になれます。

今回は寺島宗則を取り上げました。
以前から、この人は学者としても、政治家としてもすごい人だと思っていて、何とか書きたいと念願していました。
しかし、薩摩藩英国留学生については、多くの先行研究がありますので、今回はそれをはずしたエピソードに絞りました。
今回は学者としての彼のすごさと、数奇な出自について書きました。
彼の先祖が有名な「猪熊事件」に連坐した中御門宗信だというのはだいぶ前から知っていて、本来は薩摩に流罪になった宗信に焦点を当てて書こうと思っていたのですが、史料が少なく、写真もないために断念し、寺島の先祖という形での紹介に切り換えました。
(訂正:記事では「猪」「猪事件」とありますが、「猪」「猪事件」の間違いです。変換ミスに気づきませんでした)

科学者としての彼のすごさも書きたかったのですが、紙数の関係で割愛しましたので、ここで補足しておきます。
記事にも書いた観光丸の鹿児島来航のとき、乗り組んでいた長崎海軍伝習所の医師ポンペ(正式にはポンペ・ファン・メールデルフォール)が寺島のことを書いています。

それによれば、寺島がポンペたちを感動させた出来事があったとか。
それは、わずかの助言だけで、小さな蒸気船を設計・建造したことです。
わずか12馬力の小さな蒸気船で、機関部分に少し欠陥があって、十分馬力を発揮できなかったそうですが、それでも、ほとんど独力で蒸気船を作ってしまう寺島に、ポンペらは感嘆し、

「薩摩藩の発展は松木弘安(寺島)に負うところ極めて大である」

と書いています。

まさしく、寺島は幕末日本人を代表する優れた人材で、しかもその後の日本人の特質を併せもっていると思います。戦後の経済成長を実現し、わが国の先端技術を開発した日本人の原形ではないかと思います。
そんな古き良き日本や日本人が滅びかけている昨今ですが……。

次回は表題にある「電信長官」について書きたいと思います。

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【2010/11/22 18:00】 | さつま人国誌
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