歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

帰鹿報告その4。

追加。
帰鹿報告2の福昌寺関連で、「山川石」という独特な黄色の石材が話題になっていますので、念のため、その石を使った島津義久の墓の写真を掲げておきます。
島津義久

さて、指宿ではもうひとつ立ち寄ったところがあった。

白水館というホテルである。
海沿いの閑静な立地にある高級ホテル。

ここのオーナーが歴史好きな方で、西郷・大久保などの書墨を展示しているのは前から知っており、また最近は、慶応三年(1867)のパリ万博につくられた「薩摩・琉球国勲章」をオークションで競り落としたことや小松帯刀の遺墨も入手したことも知っていた。

フロントで尋ねると、マネージャーさんが親切に案内してくれ、また丁寧な説明もしてくれた。
奥まった廊下沿いのギャラリーにそれらは展示されていた。

とくに、西郷・大久保・小松の三傑の遺墨が一堂に並んでいたのは壮観だった。西郷・大久保まではあっても、小松まで揃っているところは少ない。
マネージャーさんから撮影してもよいという許可をいただいた。

もっとも、同館では、今年末に附属の美術館をオープンすることになっている。大河「篤姫」が決定する前から進んでいた計画だったが、結果的に最高のタイミングでオープンできることになる。
ここには、秘蔵の逸品が飾られるはずである。
小松関係も遺墨だけではなく、まだ文書もあることを知っている。

マネージャーさんが親切だったのは、調所さんの人脈にもよる。同館の学芸員さんとも知り合いだという。もっとも、当日はお休みだったが、学芸員さんと知り合いだったことで、なおさら対応がよかったような気がする。

また同館は、小松帯刀顕彰会のメンバーでもあるそうで、館内の売店で、小松研究家だった故・瀬野富吉さんの遺作も発売していた。それに、吹上酒造の焼酎「小松帯刀」を販売していたので、私はこちらを2本購入した。

今後、美術館のオープンが楽しみである。
同館の詳細はここへ

鹿児島に引き返すと、猪股さんの要望で、鹿児島県警前の川路利良大警視の銅像見学(写真参照)。
川路銅像

ここは3年前だったか、一度来たことがある。
そのとき同様、県警内の売店にも行く。「「大警視」や「巡査殿」などの焼酎が置いてあった。
前回は気づかなかったか、まだなかったのかどうかよく覚えていないが、1F入口の右手に、川路大警視のコーナーが設けられていた。川路の有名な写真が大きく掲げられ、関係史料や写真が並べられている。川路の史料の一部が京都の霊山記念館にあるとは知らなかった。
撮影してよいのか受付に尋ねたところ、川路銅像の除幕式を担当された方がわざわざ出てこられて、当時の様子を詳しく説明して下さった。
当時も、川路銅像建立に関しては反対の声があったようである。

その後、荒田あたりに差しかかったとき、先日、当ブログでも書いた中原猶介の生家が近くにあったことを思い出したので、三方限記念碑とともに見学することにした。
中原猶介の碑は甲南高校のグランドの脇に建っていた。なかなか立派である(写真参照)。
中原猶介

また「三方限出身名士顕彰碑」もすぐ近くの甲南中学の裏門横にあった。クラブ活動をしていた野球部の生徒たちが「こんにちは~」と元気な挨拶をしてくれるのが心地よい。

さて、三方限とは、薩摩藩の城下士のうち、下級城下士の居住地域だった上之園・高麗・上荒田の三つの方限(ほうぎり)を指す。
この一帯は甲突川右岸(西岸)にあたり、比較的新しい武家居住地だった。約400戸の武家屋敷があったという。

顕彰碑の裏側に三方限出身の人名がたくさん挙げてあった。大久保利通が高麗出身だというのはいいとしても、ちょっと疑問だったのは、対岸の加治屋町方限出身のはずの西郷兄弟や伊地知正治が上之園方限出身者として名を挙げられていることだった(写真参照)。
三方限

西郷たちは一時期、上之園に住んだことがあったのだろうか? そのあたりの事情をご存じの方がおいでなら、ご教示下さい。

最後、空港へ行く途中の重富で、岩剣山が見えた。
ここは島津義久・義弘兄弟の初陣の地である。以前、友人と一緒に頂上まで登って、重富や加治木方面の景色を眺めたことを思い出した。
途中、日頃とは異なる角度から同山を撮影できたので載せておきたい(写真参照)。
岩剣

以上で、帰鹿報告を終わります。
調所さん、猪股さん、いろいろ有難うございました。
スポンサーサイト

【2007/03/03 13:00】 | 幕末維新
トラックバック(0) |

ペーペーで済みません
吉田松陰大好き
確か『上之園』は広いグラウンドになっている所ですよね。去年、初めて鹿児島へ行ったもので、あまり地名も覚えておりませんが、2回目の【維新ふるさと館】訪問時、道に迷い、ヤケになってメチャクチャに歩いているとグラウンドを見つけ、碑と看板があり、西郷が住んでいたという説明が書かれていましたが、理由は忘れました。その後、いつの時代か分かりませんが学校も建ち、門の一部が碑の隣に残っています。このブログを御覧になった地元の方及び御存知の方、是非、情報をお願い致します。私も、もう一度理由を知りたいです。

上之園
吉田松陰大好き
少々思い出しました。確か、大久保家の借金の担保が西郷の生家で、結局、返済できず上之園で住む事になったという理由だったと思います。とにかく、西郷らしい理由であった記憶はかすかに残っております。

西郷家の住居について
猪股
こんばんは,猪股です。

西郷家の件で,情報までですが…

吉田松陰大好きさんのおっしゃる通り,中央町の共研公園の入口に,”西郷南洲翁宅地跡”の碑があります。これは,昭和9年に建てられた碑が太平洋戦争で失われた為に作り直した2代目だそうです。その碑の説明によれば,「西郷隆盛は、安政二年(1855)十二月、下加治屋町の誕生の地を売却し、以来、明治二年(1869)七月、武屋敷に転居するまでの十数年間、この地を借りて居所とした…」とのことです。また、碑の脇にある案内板には、「…下加治屋町の屋敷を売り借金の返済に充てたといわれています…」とあります。西郷南洲顕彰館発行の『詳細西郷隆盛年譜』には,下加治屋町の屋敷は鎌田源次郎に売ったとあります。これらの内容が,どの資料を基に書かれているのは,スミマセン,調べていないので分かりません。『鹿児島城下絵図散歩』(高城書房)には,安政6年ころの内容と推定されている”旧薩藩御城下絵図”を使用して,現在との比較を掲載されていますが,それによると,この時の西郷家は,やはり上記と同じ場所(厳密にいうと,現在の熊本ファミリー銀行)になっています。また,そこから鹿児島中央駅に向かった数件先には,伊知地正治の家があったと書いてあります。写真版が掲載されているので,目を凝らして見たのですが,私の目ではハッキリ確認できませんでした(村田十蔵家はバッチリ分かったのですが…苦笑)。


吉田松陰大好き
大久保利通様の御子孫の方々には、大変失礼な事を申し上げ、誠に申し訳ありません。反省しております。実は、私も「大久保」と申しますので、大変違和感を感じておりました。猪股様、正しい情報を感謝致します。道に迷い、運が悪いと思っておりましたが、かえってラッキーでしたhttp://blog83.fc2.com/image/icon/i/F992.gif" alt="" width="12" height="12">私は薩摩の幕末時代が大好きです。桜島を見て感じた事は、西郷も大好きな山で、山自体も西郷を育んでいた様に感じました(推測です)。実際、火山灰に苦しんだでしょうが、眺めていると不思議にそう思いました。西郷の雄大さが桜島と重なって見えるからかもしれません。

有難うございます
桐野
吉田松陰大好きさん、猪股さん

ご教示有難うございます。
やはり、加治屋町の屋敷を売って上之園に移住したのですね。

その後、『西郷隆盛全集』に付いている年譜を見てみましたが、猪股さんのご指摘のように、安政2年(1855)12月12日、鎌田源次郎に永代売り願いを出し、同月中に許可されたようですね。西郷家の加治屋町屋敷は259坪もあったのですね。今ならお大尽ですが(笑)。

それで、上之園に移ったのは一年半ほどのちの安政4年で、「武村上之園借地に住む」と書いてあります。
上之園は武村に属するのかと、軽い衝撃でした。

なお、同年譜も出典が書いてないのが困ります。

伊地知正治の家も西郷家と同様だったのでしょうかね。


郷中教育
吉田松陰大好き
西郷の生家が259坪なんて凄すぎます。正に大尽ですね。伊地知はどうでしょうね…。郷中教育の3つのキーワードは「弱い者いじめをしない」,「負けるな!」と、もう一つは自信ありませんが『年寄りを大切にする』でしたでしょうか?旅行以来、数カ月は3つをしっかり覚えておりましたが、ガタが来て、長い事気になって仕方ありません。郷中教育は現在も一部で行っている様ですね(毎日ではないでしょうが)。6時からビッシリ詰まったスケジュールですよね。桐野様も体験されましたか?剣術→朝食→勉学→剣術…季節により、水泳や登山等、凄いですよね。

コメントを閉じる▲
コメント
この記事へのコメント
ペーペーで済みません
確か『上之園』は広いグラウンドになっている所ですよね。去年、初めて鹿児島へ行ったもので、あまり地名も覚えておりませんが、2回目の【維新ふるさと館】訪問時、道に迷い、ヤケになってメチャクチャに歩いているとグラウンドを見つけ、碑と看板があり、西郷が住んでいたという説明が書かれていましたが、理由は忘れました。その後、いつの時代か分かりませんが学校も建ち、門の一部が碑の隣に残っています。このブログを御覧になった地元の方及び御存知の方、是非、情報をお願い致します。私も、もう一度理由を知りたいです。
2007/03/03(Sat) 21:56 | URL  | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
上之園
少々思い出しました。確か、大久保家の借金の担保が西郷の生家で、結局、返済できず上之園で住む事になったという理由だったと思います。とにかく、西郷らしい理由であった記憶はかすかに残っております。
2007/03/03(Sat) 23:03 | URL  | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
西郷家の住居について
こんばんは,猪股です。

西郷家の件で,情報までですが…

吉田松陰大好きさんのおっしゃる通り,中央町の共研公園の入口に,”西郷南洲翁宅地跡”の碑があります。これは,昭和9年に建てられた碑が太平洋戦争で失われた為に作り直した2代目だそうです。その碑の説明によれば,「西郷隆盛は、安政二年(1855)十二月、下加治屋町の誕生の地を売却し、以来、明治二年(1869)七月、武屋敷に転居するまでの十数年間、この地を借りて居所とした…」とのことです。また、碑の脇にある案内板には、「…下加治屋町の屋敷を売り借金の返済に充てたといわれています…」とあります。西郷南洲顕彰館発行の『詳細西郷隆盛年譜』には,下加治屋町の屋敷は鎌田源次郎に売ったとあります。これらの内容が,どの資料を基に書かれているのは,スミマセン,調べていないので分かりません。『鹿児島城下絵図散歩』(高城書房)には,安政6年ころの内容と推定されている”旧薩藩御城下絵図”を使用して,現在との比較を掲載されていますが,それによると,この時の西郷家は,やはり上記と同じ場所(厳密にいうと,現在の熊本ファミリー銀行)になっています。また,そこから鹿児島中央駅に向かった数件先には,伊知地正治の家があったと書いてあります。写真版が掲載されているので,目を凝らして見たのですが,私の目ではハッキリ確認できませんでした(村田十蔵家はバッチリ分かったのですが…苦笑)。
2007/03/03(Sat) 23:12 | URL  | 猪股 #x1SvnNbc[ 編集]
大久保利通様の御子孫の方々には、大変失礼な事を申し上げ、誠に申し訳ありません。反省しております。実は、私も「大久保」と申しますので、大変違和感を感じておりました。猪股様、正しい情報を感謝致します。道に迷い、運が悪いと思っておりましたが、かえってラッキーでしたhttp://blog83.fc2.com/image/icon/i/F992.gif" alt="" width="12" height="12">私は薩摩の幕末時代が大好きです。桜島を見て感じた事は、西郷も大好きな山で、山自体も西郷を育んでいた様に感じました(推測です)。実際、火山灰に苦しんだでしょうが、眺めていると不思議にそう思いました。西郷の雄大さが桜島と重なって見えるからかもしれません。
2007/03/04(Sun) 00:17 | URL  | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
有難うございます
吉田松陰大好きさん、猪股さん

ご教示有難うございます。
やはり、加治屋町の屋敷を売って上之園に移住したのですね。

その後、『西郷隆盛全集』に付いている年譜を見てみましたが、猪股さんのご指摘のように、安政2年(1855)12月12日、鎌田源次郎に永代売り願いを出し、同月中に許可されたようですね。西郷家の加治屋町屋敷は259坪もあったのですね。今ならお大尽ですが(笑)。

それで、上之園に移ったのは一年半ほどのちの安政4年で、「武村上之園借地に住む」と書いてあります。
上之園は武村に属するのかと、軽い衝撃でした。

なお、同年譜も出典が書いてないのが困ります。

伊地知正治の家も西郷家と同様だったのでしょうかね。
2007/03/04(Sun) 09:37 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
郷中教育
西郷の生家が259坪なんて凄すぎます。正に大尽ですね。伊地知はどうでしょうね…。郷中教育の3つのキーワードは「弱い者いじめをしない」,「負けるな!」と、もう一つは自信ありませんが『年寄りを大切にする』でしたでしょうか?旅行以来、数カ月は3つをしっかり覚えておりましたが、ガタが来て、長い事気になって仕方ありません。郷中教育は現在も一部で行っている様ですね(毎日ではないでしょうが)。6時からビッシリ詰まったスケジュールですよね。桐野様も体験されましたか?剣術→朝食→勉学→剣術…季節により、水泳や登山等、凄いですよね。
2007/03/06(Tue) 11:10 | URL  | 吉田松陰大好き #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。