歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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先月下旬分の続きです。

11月25日(木)
朝、新幹線に乗り、名古屋へ。
いつもの栄・中日文化センターでの講座。
「『信長公記』を読み解く」も第3クールの5回目となった。
今回のテーマは「小谷封じ込めと異見十七カ条」。
長い元亀争乱において、信長と浅井・朝倉方のパワーバランスが大きく傾いた時期を取り上げた。
織田軍は浅井領の奥座敷まで侵入し、小谷城の正面、虎御前山に付城を築くまでになった。
『大日本史料』10編からいろいろな史料を紹介したせいか、「異見十七カ条」の検討は駆け足になり、すべての条文を読むことができなかったのが心残り。
終了後、また多くの質問が出る。受講者のみなさんは相変わらず熱心である。今後もどしどし質問して下さい。なるべくご希望に添うようにします。
次回はいよいよ武田信玄の登場、三方ヶ原合戦です。

11月27日(土)
午後から、鹿児島県出身者の交流の場になっている三州倶楽部にて講演。
主催は鹿児島市関東交友会青年委員会。
鹿児島県ではなく、鹿児島市出身者の方々の県人会の青年部が中心。
だいぶ前から打ち合わせをしており、大河ドラマ「龍馬伝」の最終回前日というタイミングから、「薩摩と龍馬」の絆について話すことになっていた。

パワーポイントを使って、主に京都の史跡を紹介する。
二本松の薩摩藩邸、小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通の京都邸跡なども紹介。
龍馬については、小松帯刀書簡や龍馬本人の書簡から、薩摩との強い関係があったことを改めて強調した。
最後に龍馬暗殺についての見方、とくに史料の見方について少し話をした。

講演終了後、懇親会となり、老若男女が集っての賑やかな集まりになった。
多くの方々から次々と挨拶していただき、名刺を切らしてしまうという不手際もすみませんでした。
ソニー龍馬会や有馬新七の子孫などもお見えで、いろいろ楽しい出会いがありました。

11月30日(火)
夕方から神保町に行く。
小学館「てらこや」の講座に出講。
「中岡慎太郎の日記を読む」の4回目。
慶応3年(1867)の初めを読む。
土方久元『回天実記』も併読。
西郷隆盛が土佐や宇和島に行き、山内容堂や伊達宗城と会見して上京を促す周旋活動を他の史料で読む。
中岡が太宰府の五卿のそばにあって、何を考え、何をしたか、よくわかった。とにかく勉強熱心で、中国の古典を中心に読書に励んでいる。またそれらの講義が頻繁に開かれているが、中岡が講師なのか、あるいは受講しているのか日記ではよくわからなかった。五卿の誰かが講師ではないかと憶測を述べてみたが、よくわからない。
また中岡も「万国公法」を読み、福沢諭吉の「西洋事情」に関心を示していることがわかった。これに「英国策論」を加えて、当時の周旋家には必読文献だったのではないか。

12月3日(金)
午後から武蔵野大学生涯学習講座に出講。
三鷹のサテライトキャンパスに行く。

「龍馬暗殺――近江屋事件の背景と真相」の2回目。
今回は「薩摩黒幕説の誤りはどこにあるのか?」というテーマで話す。
例によって、レジュメ多し。
とても全部こなしきれないと思い、かなり飛ばしたが、それでも2枚終わらなかった。
とくに、大久保利通と岩倉具視が近江屋事件で悲嘆し、憤慨した往復書簡を読めなかったのが心残り。
日頃日記や手紙に感情をほとんど表さない大久保が怒っている様子がわかる貴重な書簡である。
薩摩黒幕説のなかでも、大久保黒幕説が目立つが、そのような妄説を一刀両断する史料である。
薩摩黒幕説や大久保黒幕説を支持する人々は、この数通の往復書簡が偽文書であるか、あるいは2人の「粉飾」「偽造」であり、中身が信用できないことを証明する責務があるはずだが、ついぞお目にかかったことがない。

終了後、多くの質問に接する。
受講者の関心が奈辺にあるかよくわかった。
少し尻切れトンボでしたが、多数受講していただき、感謝です。

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【2010/12/08 13:40】 | イベント
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