歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
日次記です。

17日(金)天晴れ
朝早く新幹線で京都へ。
ようやく時間がとれたので、同志社大学で開かれている「幕末と同志社」展を見に行く。

展示のサブタイトルが「薩摩藩邸址にあって」とあるように、同志社大学今出川キャンパスは二本松の薩摩藩邸跡にある。そして現在も発掘が進められている。その成果として、出土したばかりの丸十の家紋が付いた茶碗を展示してあった。

目玉は玉里島津家で発見された二本松藩邸の詳細な見取り図。
部屋割りが詳しくわかる。畳数や役職別の部屋割りが詳しく書かれている。家老、側用人、祐筆、目付などの部屋があった。
カラーで描かれており、まことに鮮やかである。

会場の係員さんから、先日の尚古集成館の田村館長の講演の様子をうかがう。
小松邸「御花畑」も話題になって、質問が多く出た由。
会場で、今夏、大阪龍馬会で講演したとき、参加されていたご夫婦から声をかけられる。
懇親会で私の前に座っておられ、詳しくお話しした方々だったことを思い出した。

その後、室町頭町に行く。
気になったことがあり、調査と撮影をした。

その後、黒谷に移動。
目的はもちろん、来年の大河ドラマの主人公お江の供養墓。徳川忠長や春日局の墓もある。
墓所の手前に蓮池と極楽橋があるが、これは春日局がお江の墓参拝のためにつくったと聞いた覚えがあるが、どうだったか?
来年に向けて、案内板もすでにできていた。お江の墓の金属プレートも真新しい。
またバスガイドらしき集団が30名ほどいた。どうやら来年に向けての研修を受けていたようである。
師走のあわただしさのなかに、来年への動きが感じられた。

案内板

江案内板

その後、永観堂などを見学した頃には暗くなり、日帰り探索を終えた。

19日(日)天晴れ
朝から世田谷奥沢の九品仏浄真寺に行く。
調所広郷の162年祭に出席のため。
広郷の直系子孫で友人の調所一郎さんのお招きを受けたもの。
今回は私の小話もしてほしいとのことだった。
以前の打ち合わせでは、大河ドラマ「龍馬伝」について話してほしいといわれていた。

当日19日は調所広郷の命日だが、奇しくも天璋院篤姫の誕生日でもある。
法要が終わり、懇親会のとき、少人数での和気藹々とした会なので、あまり堅苦しくてなじみのない話はどうかと思い、みなさんがご存じの人物、テーマにしようと、「龍馬・篤姫二題」と題して少し話をした。
資料も少し用意した。
出席者には、明治大学O合先生や友人の幕末維新研究者のM田さんもおられて緊張したが、何とか無事終了。

20日(月)天晴れ
年末進行のため、いつもの原稿締切が前倒しで早い。
この日は歴史読本の連載原稿の締切。いつも遅れがちなので、何とか締切に間に合うようにと頑張った。
が、夕方までに終わらず。結局、脱稿したのは22:00過ぎだった。
今回は信長の洛中馬揃えが中心。

21日(火)曇り
午後から品川の海晏寺に参拝。
友人のKさんの墓参にお付き合い。
ここは何といっても、幕末維新の有名人の墓が多い。
日頃はなかなか見られない区域にあるため、Kさんに同行していくつか見学させてもらった。

岩倉具視
寺島宗則
松平春嶽
由利公正
山尾庸三
松村淳蔵
児島惟謙


などを見学。
岩倉の墓域はさすがに広い。顕彰碑も大きい。

興味深かったのは薩摩藩英国留学生の寺島宗則と松村淳蔵、そして長州ファイブの一人、山尾庸三の墓が非常に近い場所にあったこと。幕末の英国組が3人も同じ場所に眠っているのは奇観である。
寺島宗則の墓は拙連載に間に合わせられなかったのが残念。

参拝後、Kさんと別れて青山墓地に行く。
前から気になっていた人物の墓を管理事務所で教えてもらった。
事務所のそばにあったから、すぐわかった。
写真撮影をする。
雨が降る前にすべてがうまく順調に運んだ。

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【2010/12/22 08:44】 | 日次記
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御礼など
調所
19日は本当に有り難うございました。皆様、目から鱗の話に大変喜んでました。私は翌20日から鹿児島で、今度は福昌寺跡墓地の笑左衛門(広郷)の墓掃除と黎明館の篤姫像を見て参りました。ところでその時、黎明館の方々から先月の特別企画展「甦る島津の遺宝」の説明をして頂けました。そして江戸時代二百六十年の間に島津家当主から密教の秘伝虎之巻を伝授され、起請文を出した31人の名前が出ました。虎之巻の内容は不明だそうです。実は、そのうちの一人が笑左なのですが私も家伝の密教系と思しき品を学芸課長の先生に見て頂きました。その31人が、どんな基準で選ばれ具体的に何をしたのか分かりません。島津家は護摩所も設けていたそうです。血のつながる我が先祖ながら薩摩絡みの怪しげな所には大抵名前が出てるなぁと思った次第です。

護摩所
桐野
調所さん

先日はお世話になりました。
調所家にはまだ遺品が残っているんですね。

島津家の護摩所といえば、やはり大乗院でしょうかね?


護摩所
調所
島津家の護摩所は鶴丸城北の、現在、薩摩義士碑のあるあたり裏だそうです。
城山に登って行く途中の、気のせいかチョットおどろな雰囲気の場所ですね。

護摩所
桐野
調所さん

『鹿児島城下絵図散歩』を見ると、現・薩摩義士の碑の右手(東)に何か施設があります。
字が小さくてよく読めないのですが、3文字で、末尾が「所」、何となく「護摩所」と読めそうです。
こんな所にあるなんて知りませんでした。
教えていただき、有難うございます。


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御礼など
19日は本当に有り難うございました。皆様、目から鱗の話に大変喜んでました。私は翌20日から鹿児島で、今度は福昌寺跡墓地の笑左衛門(広郷)の墓掃除と黎明館の篤姫像を見て参りました。ところでその時、黎明館の方々から先月の特別企画展「甦る島津の遺宝」の説明をして頂けました。そして江戸時代二百六十年の間に島津家当主から密教の秘伝虎之巻を伝授され、起請文を出した31人の名前が出ました。虎之巻の内容は不明だそうです。実は、そのうちの一人が笑左なのですが私も家伝の密教系と思しき品を学芸課長の先生に見て頂きました。その31人が、どんな基準で選ばれ具体的に何をしたのか分かりません。島津家は護摩所も設けていたそうです。血のつながる我が先祖ながら薩摩絡みの怪しげな所には大抵名前が出てるなぁと思った次第です。
2010/12/23(Thu) 01:18 | URL  | 調所 #-[ 編集]
護摩所
調所さん

先日はお世話になりました。
調所家にはまだ遺品が残っているんですね。

島津家の護摩所といえば、やはり大乗院でしょうかね?
2010/12/25(Sat) 17:00 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
護摩所
島津家の護摩所は鶴丸城北の、現在、薩摩義士碑のあるあたり裏だそうです。
城山に登って行く途中の、気のせいかチョットおどろな雰囲気の場所ですね。
2010/12/26(Sun) 13:16 | URL  | 調所 #ZKb723qc[ 編集]
護摩所
調所さん

『鹿児島城下絵図散歩』を見ると、現・薩摩義士の碑の右手(東)に何か施設があります。
字が小さくてよく読めないのですが、3文字で、末尾が「所」、何となく「護摩所」と読めそうです。
こんな所にあるなんて知りませんでした。
教えていただき、有難うございます。
2010/12/28(Tue) 01:12 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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