歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第176回
―嘉永朋党事件で筑前亡命―

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、御覧になれます。

今回は、前回の小松帯刀の京都邸「御花畑」の関連記事です。
「御花畑」の所在地を明記した史料『薩藩維新秘史 葛城彦一伝』の当人である葛城彦一を取り上げました。

葛城は平田国学者で、しかも、平田篤胤じきじきの薫陶を受けています。
篤胤は没年が天保14年(1843)ですから、晩年にその教えを乞うには年輩でなければなりません。

また葛城は加治木島津家の家来でした。
つまり、藩主から見たら陪臣にあたります。
身分は低かったのですが、平田国学という流行思潮を会得していたたために、鹿児島城下士とも交流が生まれたわけですね。

その縁もあり、葛城は島津斉彬擁立運動、いわゆる嘉永朋党事件(高崎崩れ)に巻き込まれます。
この事件は「お由羅騒動」という名前のほうが人口に膾炙していますが、お由羅はほとんど関与しておらず、本来は嫡男斉彬襲封を認めない藩主斉興に向けられるはずの批判がご法度で、その代わり、側室のお由羅に向けられたため、奸女、悪女のイメージが形づくられました。その点、お由羅の方には同情すべき余地が多分にあります。

葛城への嫌疑のなかに、斉興側近の兵道者、牧仲太郎暗殺未遂があるのがまことに興味深いですね。
牧仲太郎といえば、直木三十五の『南国太平記』でも有名な人物。30年ほど前、『南国太平記』を原作としたNHKドラマ「風の隼人」が放映されましたが、これにも重要人物として登場します。当時は柳生博が演じていました。

この暗殺未遂事件に葛城が関わったと、伝記にはっきりと書かれていますが、果たして史実なんでしょうか?
確認する術を知りません。ご存じの方がおいでなら、ご教示下さいませ。

葛城のことは1回で終わるつもりでしたが、やはり終わらず、結局、上下2回に分けることにしました。
(下)は年を越して、1月10日掲載になります。区切りが悪いのが少し心残りです。
まあ、何となく今年の私の仕事ぶりを象徴しているかも(爆)。

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【2010/12/27 20:24】 | さつま人国誌
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2010/12/29(Wed) 12:21 |   |  #[ 編集]
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