歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
昨夜、小学館アカデミー古文書講座「てらこや」に出講。
今年初めての講座である。

今回の演題は「薩土盟約と中岡慎太郎」。
今回は中岡の日記『行行筆記』から、慶応3年(1867)4月~5月あたりを読む。
ちょうど四侯会議の時期にあたっており、中岡が藩内外の要人や知友と頻繁に会って周旋活動をしていることがわかる。ただ、その中身はよくわからない。中岡の日記はその点が惜しい。もしその活動内容をもう少し詳しく書いていたら、中岡の評価がもっと高くなるはずだが、残念である。

今回はとくに人物比定に苦労した。
中岡はもっぱら、片名字、片諱の表記を多用している。坂本龍馬を「坂龍」と省略して表記する類。なかには片名字だけの表記もあり、誰だかよくわからない。たとえば、「田」と書いてあってもねえ。

今回の講座のキモは、中岡が江戸から上ってきた乾退助(のち板垣退助)を薩摩藩の小松帯刀や西郷吉之助などに引き合わせる場面。
じつをいうと、これも日記にはただ集まって会ったとしか書いてない。
そうかといって、当事者たちの記録や日記などにも何も書かれておらず、ほとんど唯一の記録は板垣が後世回顧したものだけ。それもけっこういい加減で、ほとんど中身がない。「小松・西郷らと討幕攘夷で合意した」と証言しているが、どこまで信じていいのやら。
だから、会見の中身より、両者が会見したこと自体に意義があったのではないかという話をする。
この会見が薩土の密約とか、討幕の盟約と呼ばれているけど、過大評価だと思う、という話もした。

あと、前回までで太宰府の五卿がらみの話が終わってしまったが、拙宅の書庫を整理していたら、『三条実美公年譜』という格好の史料が出てきたが、あとの祭り。でも、悔しかったから、連載「さつま人国誌」の最新記事にも書いた伊集院金次郎の「酔狂」一件(ここです)が記されたあたりを受講者に配布した。

あと、中岡が大極丸の運航に関する金銭的なトラブルを処理するため、小松帯刀に掛け合っているのが興味深かった。なぜ中岡があたっているのかわからない。
また「破船」という記述があり、いろは丸沈没事件だろうと受講生に教えていただいた。時期的にたしかにそうである。中岡もこの事件を知っていたことがわかる。

次回はおそらく「行行筆記」の最終回だと思う。
あと「時勢論」なども詳しく読みたい。楽しみである。

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【2011/01/19 22:32】 | てらこや
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