歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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本日は新暦で、島津義久(1533~1611)の命日(旧暦換算だと3月5日)。
しかも400年忌です。

義久は慶長16年(1611)1月21日、国分(現・霧島市国分)の居館(舞鶴城)で息を引き取りました。
臨終の刻限は「申刻」(午後4時頃)と「加治木御日記」(島津義弘側近の日記)にあります。享年79。当時としては相当の長命でした。
義久は戦国島津氏最盛期の当主です。天正14年(1586)には九州のほぼ全域を占領するまでになりましたが、豊臣秀吉の襲来により、頓挫のやむなきに至りました。

その後、豊臣政権からの圧力や干渉、自身の後継者不在という苦悩が、義久を屈折させました。
とくに後継者問題は義久を最後まで悩ませ、嫡女亀寿の行く末を案じながらの最期だったのではないでしょうか。
このあたりの事情について興味のある方は、拙著『島津義久』(PHP文庫)や『関ヶ原 島津退き口』(学研新書)をご覧下さい。

この年、義久は元旦に連歌と思われる発句を詠んでいます。

朝戸あけの袂か
梅のうすかほり


まだ重篤ではなかったようですが、上記日記によれば、義久に「虫気」の症状がたびたびあらわれたことが書かれています。虫気は腹痛など腹部の病気の総称ですが、胃ガンだったのかもしれませんね。

臨終の床には、弟の義弘や甥で養子の家久も駆けつけています。
なお、上記日記では、義久の他界は正月二十日条に書かれています。

義久の辞世は、

世間のよね(米)と水とをのミつくし つくしてのちは天津大そら

なお、殉死者が15人もいました。
最年少は市来清左衛門の26歳、最年長は新原藤左衛門の69歳。

義久の死は、薩摩と島津氏の戦国が最終的に終焉した出来事で、これを機に島津氏は近世の新時代に入ったといっても過言ではありません。

しかし、義久の400年忌といっても、鹿児島ではほとんど話題にならないでしょうな。
国分では慰霊祭があるんでしょうかね?


余談ながら、本日は新暦ですが、薩長同盟が締結された日(諸説あり)でもありますね。
慶応2年(1866)のことですから、145年前のことです。

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【2011/01/21 14:49】 | 戦国島津
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まさに戦国大名
市川
戦国乱世を生き抜き、とにもかくにも島津氏の土台を支え続けた島津義久公に改めて敬意を表します。
義久や義弘など、島津氏の当主は長命な人が多いですね。お家を守り通す秘訣なのかもしれません。



長命
桐野
市川さん

仰せのとおり、長生きがお家存続の秘訣という面はありますね。

江戸時代初期、多くの大名が改易されていますが、ほとんど無嗣子で、藩主が短命のケースが多いですね。

もっとも、島津家の場合、亡くなる順番が義弘が先だったら、その後の島津家はどのように変わったかという議論もありますね。


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低評価
ばんない
こんばんは。

>義久の400年忌といっても、鹿児島ではほとんど話題にならないでしょうな。
web版南日本新聞の1/21記事を見ましたが、全く話題になってませんでした(涙)
地元の人しか確認できない地方版には、何か載っているのかも知れませんが…

テレビ神奈川他独立UHF系局で放送されている『戦国鍋TV』という番組の「活躍の割に知名度の低い武将」のコーナーでもついに取り上げられてしまったし、この低評価は当分続きそうですね(号泣)

400年忌
桐野
ばんないさん

私は一日遅れで、南日本新聞を読んでいるのですが、まったく記事はありませんでした。

それで、拙連載で少し書くことにしました。
島津最盛期の当主の400年忌がまったく知られないままで過ぎ去るのは口惜しいですからね。



ばんない
こんばんは。
地元紙でも全く無視の扱いでしたか…悲しいですね。

>拙連載
2月23日前後の「さつま人国記」にこう御期待下さい!
…ということでしょうか?(汗)
義久公も草葉の陰でお喜びになるのでは無かろうかと思います。

ところで揚げ足を取るようで非常に心苦しいのですが、慶長16年1月21日は西暦換算すると1611年3月5日になりませんか?



3月5日
桐野
ばんないさん

新暦と旧暦の換算、ご指摘を受けて調べてみたら、やっぱり3月5日でした(汗)。
エントリーのほうも訂正しておきました。

義久命日は新暦では過ぎてしまいましたが、旧暦ではまだ1カ月以上ありますので、早めに告知したいと思います。

危うく間違った日にちを書くところでした。
ご指摘感謝です。

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この記事へのコメント
まさに戦国大名
戦国乱世を生き抜き、とにもかくにも島津氏の土台を支え続けた島津義久公に改めて敬意を表します。
義久や義弘など、島津氏の当主は長命な人が多いですね。お家を守り通す秘訣なのかもしれません。

2011/01/21(Fri) 17:15 | URL  | 市川 #-[ 編集]
長命
市川さん

仰せのとおり、長生きがお家存続の秘訣という面はありますね。

江戸時代初期、多くの大名が改易されていますが、ほとんど無嗣子で、藩主が短命のケースが多いですね。

もっとも、島津家の場合、亡くなる順番が義弘が先だったら、その後の島津家はどのように変わったかという議論もありますね。
2011/01/21(Fri) 21:54 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011/01/22(Sat) 11:41 |   |  #[ 編集]
低評価
こんばんは。

>義久の400年忌といっても、鹿児島ではほとんど話題にならないでしょうな。
web版南日本新聞の1/21記事を見ましたが、全く話題になってませんでした(涙)
地元の人しか確認できない地方版には、何か載っているのかも知れませんが…

テレビ神奈川他独立UHF系局で放送されている『戦国鍋TV』という番組の「活躍の割に知名度の低い武将」のコーナーでもついに取り上げられてしまったし、この低評価は当分続きそうですね(号泣)
2011/01/27(Thu) 00:28 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
400年忌
ばんないさん

私は一日遅れで、南日本新聞を読んでいるのですが、まったく記事はありませんでした。

それで、拙連載で少し書くことにしました。
島津最盛期の当主の400年忌がまったく知られないままで過ぎ去るのは口惜しいですからね。
2011/01/29(Sat) 21:01 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
こんばんは。
地元紙でも全く無視の扱いでしたか…悲しいですね。

>拙連載
2月23日前後の「さつま人国記」にこう御期待下さい!
…ということでしょうか?(汗)
義久公も草葉の陰でお喜びになるのでは無かろうかと思います。

ところで揚げ足を取るようで非常に心苦しいのですが、慶長16年1月21日は西暦換算すると1611年3月5日になりませんか?

2011/02/01(Tue) 23:55 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
3月5日
ばんないさん

新暦と旧暦の換算、ご指摘を受けて調べてみたら、やっぱり3月5日でした(汗)。
エントリーのほうも訂正しておきました。

義久命日は新暦では過ぎてしまいましたが、旧暦ではまだ1カ月以上ありますので、早めに告知したいと思います。

危うく間違った日にちを書くところでした。
ご指摘感謝です。
2011/02/03(Thu) 14:02 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
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