歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
大河ドラマ「江」第3回「信長の秘密」

何かもったいぶったタイトルでしたが、要はありもしない江の好奇心をかき立てただけ。江というより、むしろ脚本家の好奇心ではないかと思う。
だって、江はドラマ進行時点でわずか7歳か8歳ですよ。
子どもだから恐い者知らずで何でも聞けるという演出もありかもしれんけど、それなら、大人の上野樹里より、子役の芦田愛菜ちゃんのほうが実年齢ぴったりだし、効果的だったんじゃないの?
もっとも、7~8歳の女の子が、信康事件の真相を知ろうなんて考えないけどね、ふつう。

それで、今回の隠しテーマは信康事件です。
前回のコメント補足でも少し書きました。ここです。

もう一度、整理しておきます。
ドラマは信長が築山殿の殺害と信康の切腹を命じたという通説に従い、さらにその理由として、信康が信忠よりも優秀だったからではないかと、お市の方に述べさせておりました。

はっきりと強調しておきますが、この通説は後世の徳川史観です。
家康に都合がよいように、信長に事件の責任を転嫁したもので、結果として信康の「逆心」(後述)も曖昧化し、救済する意図が込められています。つまりは史実から乖離したフィクションだということです。

この事件の基本史料は、徳川方だと『家忠日記』、織田方だと太田牛一『信長記』の異本「安土日記」です。
太田牛一が著述したいわゆる『信長記』(『信長公記』と呼ばれることが多いですが)は自筆本と写本を含めて、数十点あります。
そのなかで信康事件を記したものと、記さないものがあります。また記したものでも、内容が微妙に違っています。
記されたものは成立が古く、記されていないものは成立が比較的新しいです。
なぜこのような違いが生じるかというと、太田牛一が『信長記』諸本を著述した時期が文禄年間(天正年間まで遡る可能性大)から慶長年間で、豊臣から徳川への政権移行期にあたっているからです。
つまり、徳川政権にとって父子相剋というデリケートな問題である信康事件を記述するのか否か、徳川政権が強固になるにつれて、太田牛一はこの問題に触れるのを次第に遠慮するようになったからです。

したがって、『信長記』諸本のうち、成立の古いものほど、この事件の真相に近いということになります。
その諸本のうち、写本ながら成立が古いとされるのが、加賀前田家の尊経閣文庫が所蔵している「安土日記」です。これは全巻揃っておらず、信康事件前後の天正6年と7年のみが残っています。有名な九鬼水軍の鉄張船についても貴重な記述があります。
そのなかで、信康事件が何と書かれているかというと、

去る程に三州岡崎三郎殿(信康)逆心の雑説申し候、家康ならびに年寄衆上様に対し申し、勿体なきお心持ちしかるべからざるの旨異見候て、八月四日に三郎殿を国端へ追い出し申し候、

意訳すると、

そうこうするうちに、信康殿が謀叛の心があると噂が流れ、家康と家老衆が上様(信長)に対して不届きな心持ちはよくないと(信康に)異見をし、八月四日に国端に追放した。

一方、徳川方の『家忠日記』天正7年(1579)6月(5日か)条に次のような記事があります。

家康浜松より信康御○○○○の中なをしに越され候、○○○○時○○○家康御屋敷へ○○○○御渡し候て、ふかうすかへり(深溝帰り)候、

○○は虫損です(字数は不明)。虫損が多くて大意が取りにくいです。この前後の日記でこれだけの虫損があるのはこの個所だけです。微妙な内容なので、虫損ではなく抹消されたのかもしれません。

このなかに、家康が浜松から(岡崎の)信康のところにやってきた目的が「中なをし」(仲直し)、つまり仲直りのために来たとあります。
この一件は信康の追放、切腹の2カ月前のことです。これではっきりするのは家康と信康が不仲であること。それも単に父子の不仲にとどまらず、浜松と岡崎の対立にほかならず、つまり徳川家中の深刻な対立だと考えて間違いありません。

信康が非業の死を遂げるのは、信長の命令があったからでなく、徳川家中の対立を解消するために、家康が自分の嫡男を犠牲にせざるをえなかったというのが真相に近いでしょう。
信康が父に反抗したのには、築山殿が殺害されていることから、彼女の使嗾というか働きかけがあった可能性は高いですね。それが今川家出身としての恨みなのか、あるいは甲斐武田氏との内通のゆえなのかは不明です。

嫡男の処断を決断した家康ですが、やはり人の親ですから、信康に切腹を命じるのは忍びなく、一命は助けようとして一度は追放処分にしたのだと思います。

以上からわかるように、信康事件の本質は父子相剋、徳川家中の深刻な内紛にあります。また『信長記』と『家忠日記』を見るかぎりでは、信長が関与したかどうかは不明です。ここを見失ってはいけません。

もっとも、大久保忠教の『三河物語』には、信長が信康の切腹を命じたとありますが、それもどこまで信じてよいかわかりません。仮に信長が関与したとしても、積極的なものではなく、あくまで徳川家からの報告に対応したにすぎないという副次的なものでしょう。

そのことを裏付けるのが、もうひとつの徳川方の編纂記録『当代記』です。そのの記述はまことに興味深いです。

(天正7年)八月五日岡崎三郎信康主[家康公一男]牢人せしめ給ふ、是信長の聟たりといえども、父家康公の命を常に違背し、信長公をも軽んじ奉られ、被官以下に情けなく非道を行わるるの間かくのごとし、(後略)

徳川方の記録にも、信康が家康の命令にいつも背き、家来たちに非道な行いがあったと書かれています。また信康の所行をひそかに信長に報告したのは家老の酒井忠次で、『三河物語』が信康夫人五徳(信長長女)とするのと異なります。忠次の報告に対して、信長は「是非に及ばず、家康存分次第の由返答あり」とも書かれており、信長は徳川家中の問題には立ち入らず、あくまで家康の判断に任せると答えています。
これこそ信康事件の本質を示しており、上の『信長記』や『家忠日記』と内容が一致しています。

家康と信康の対立、徳川家中の対立ならば、大名当主である家康が自分で自主的に処置すればよいことです。それが『信長記』にある「上様」(信長)に対して不届きだという記述とも関連するのでしょうが、信長がこの一件に関与した可能性をうかがわせるのは、ひとえに信康が信長の女婿だからでしょう。家康も嫡男とはいえ、信長の聟を自分の一存だけで処断できず、信長にお伺いを立てたのかもしれません。

後世、徳川政権が確固たるものになると、信康事件はデリケートなものになり、嫡男を殺した家康というマイナスイメージが広がることをカモフラージュするとともに、信長に責任転嫁する言説が徳川方から登場するようになりました。私が徳川史観だというのはそれゆえです。

それに伴い、太田牛一の『信長記』諸本も時代が下るごとに、内容が希薄になり、ついには記事そのものが消滅してしまいます。その流れを追うと、


「逆心」 → 「不慮に狂乱」 → 記事消滅

「不慮に狂乱」とは、精神的な疾患を意味し、あくまで信康個人の性格の問題に限定しようとする意図があり、「逆心」を本質とする徳川家中の内紛を覆い隠す効果があります。

ところで、江の所作はあれでいいですか?
とくに歩き方というより走り方は「のだめ」そのものですね。
だいたい、姫があんなはしたない所作はしないでしょう。
もう完全に時代劇を捨てているとしか思えません。
原作・脚本家の思い描く超時代的なファンタジーなんでしょうね。そう考えれば納得できます。

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【2011/01/24 12:27】 |
トラックバック(1) |

光秀の振る舞い
平八
私が疑問に思ったのは、光秀が主君の弟である
信包を、片手で制すような所作をした部分です。
これってアリなのでしょうか。

民放の歴史ドキュメントの再現ドラマ
みたいに見えてしまいます・・・。




市野澤 永
こんばんわ。

お世話になります。

今回の書き込みは一般誌に掲載されても遜色がない内容ですね。

>信康が信忠よりも優秀

高柳光寿氏には珍しく実証を欠いた見解です。
高柳氏の影響の強さというよりも、
谷口克広氏の研究成果を読んでいないですね。

>甲斐武田氏との内通

大須賀絡みで述べられたりしますが、どうなんでしょうね?

>非道

信康・忠輝・忠直と徳川一門は、この手の逸話が多いですね。

>「のだめ」そのもの

キャストが決定する前にユーチューブで「のだめ」キャストを主軸に作成された『江』のOPには笑いました。
私が動画を見た際には、主要キャストが決定していたので、余計に笑えました。
今でも見れるのかな?



言葉遣いが…
三位中将
詳細な解説をありがとうございます。

信忠贔屓としては忸怩たる思いですが、ドラマ中で信康事件の直接の原因を信忠にされなかったことが唯一の救いです。
しかし理由を聞かれて「分からん」と言う信長もどうかと思いましたが(苦笑)

所作や言葉遣いに関しては最初から半ば諦めてはいましたが…それにしてももう少し何とかできないものかと。
個人的には言葉遣いが気になって仕方ありません。

いやはや
桐野
みなさま

時代考証的にはいろいろ疑問がありますね。
もっとも、制作側は時代劇の約束事を承知の上でスルーしている感じですね。

大河ドラマがそれでいいのかという議論もあるでしょうし、お子ちゃま向けにするなら、再定義が必要かもしれないですね。



HI
当代記には確か、後略部分に信長も軽んじたという記述があったはずですが…

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コメント
この記事へのコメント
光秀の振る舞い
私が疑問に思ったのは、光秀が主君の弟である
信包を、片手で制すような所作をした部分です。
これってアリなのでしょうか。

民放の歴史ドキュメントの再現ドラマ
みたいに見えてしまいます・・・。

2011/01/25(Tue) 15:24 | URL  | 平八 #H6RSI4P.[ 編集]
こんばんわ。

お世話になります。

今回の書き込みは一般誌に掲載されても遜色がない内容ですね。

>信康が信忠よりも優秀

高柳光寿氏には珍しく実証を欠いた見解です。
高柳氏の影響の強さというよりも、
谷口克広氏の研究成果を読んでいないですね。

>甲斐武田氏との内通

大須賀絡みで述べられたりしますが、どうなんでしょうね?

>非道

信康・忠輝・忠直と徳川一門は、この手の逸話が多いですね。

>「のだめ」そのもの

キャストが決定する前にユーチューブで「のだめ」キャストを主軸に作成された『江』のOPには笑いました。
私が動画を見た際には、主要キャストが決定していたので、余計に笑えました。
今でも見れるのかな?

2011/01/25(Tue) 17:55 | URL  | 市野澤 永 #-[ 編集]
言葉遣いが…
詳細な解説をありがとうございます。

信忠贔屓としては忸怩たる思いですが、ドラマ中で信康事件の直接の原因を信忠にされなかったことが唯一の救いです。
しかし理由を聞かれて「分からん」と言う信長もどうかと思いましたが(苦笑)

所作や言葉遣いに関しては最初から半ば諦めてはいましたが…それにしてももう少し何とかできないものかと。
個人的には言葉遣いが気になって仕方ありません。
2011/01/25(Tue) 18:32 | URL  | 三位中将 #-[ 編集]
いやはや
みなさま

時代考証的にはいろいろ疑問がありますね。
もっとも、制作側は時代劇の約束事を承知の上でスルーしている感じですね。

大河ドラマがそれでいいのかという議論もあるでしょうし、お子ちゃま向けにするなら、再定義が必要かもしれないですね。
2011/01/29(Sat) 21:06 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
当代記には確か、後略部分に信長も軽んじたという記述があったはずですが…
2011/02/05(Sat) 22:52 | URL  | HI #-[ 編集]
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2011/01/25(Tue) 12:44:15 |  shugoroの日記