歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第180回
―介錯人は大山巌の祖父か―

連載が更新になりました。
このところ、外出など多くて遅くなりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は前回の続きで、大円寺で起きた切腹騒動の人物比定を中心に書きました。
当ブログでもすでに少し書いておきましたが、大円寺の過去帳から、門限破りだけで切腹した武士は広敷足軽の櫛原喜十郎、介錯人でのちに巻き添えで切腹した武士は広敷御用人の大山彦八ではないかと推定しました。彦八は、幕末の大山兄弟(彦八成美・弥助巌・誠之助)の祖父にあたります。

先日、この連載記事の続きを書くために、杉並の大円寺を再訪しました。
裏手に無縁となった墓石がたくさんあるのを知っていましたので、その墓石に上記の2人がいないか、ひとつずつ確認しました。藪のなかにあったり、倒れていたり、折れていたりしたのも見られるかぎり確認しました。また墓所の片隅に無縁塚として集められている墓石もチェックしましたが、天保5年のものは見出せませんでした。

無駄骨だったかと諦めかけ、表側にある墓所を見ていたら、大山彦八の墓を偶然見出しました。
正面には院号・戒名しか刻んでなかったですが、『薩陽過去帳』でそれを承知していたので、すぐ気づきました。
その一帯は大山彦八の孫彦八成美と誠之助の家の墓所でした。

彦八の墓石の右側面には次のように刻まれていました。

薩州大山彦八源綱毅
天保五甲午八月十
九日歿享年五十六歳


『薩陽過去帳』には8月20日と書かれており、日にちが1日ずれています。切腹したのが同19日で、届け出が20日ということかもしれません。
巌の次弟誠之助の墓もあったので、驚きました。
誠之助は西南戦争で西郷軍に加わって従軍し、日向延岡で西郷軍が解隊したとき、いとこの西郷菊次郎(西郷隆盛庶長子)とともに政府軍に投降しました。

次回は島津義久の400年忌にちなんだ記事にしたいと思います。

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【2011/02/03 13:00】 | さつま人国誌
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大膳太夫
大山の墓石を見る桐野さんの背後に切腹した大山彦八綱昌の父方伯父の墓石が・・・なんて落ちはなし?。

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大山の墓石を見る桐野さんの背後に切腹した大山彦八綱昌の父方伯父の墓石が・・・なんて落ちはなし?。
2011/02/07(Mon) 01:11 | URL  | 大膳太夫 #-[ 編集]
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