歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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南日本新聞連載「さつま人国誌」第182回
―家督候補、家久に屈服―

連載が更新になりました。
同紙サイトのここか、右のリンク欄「さつま人国誌」をクリックすれば、ご覧になれます。

今回は島津義久の死の波紋として、その外孫で垂水島津家の忠仍(のち信久)について書きました。
要は、義久死後の島津家の家督問題をめぐる暗闘です。

義久が一応、甥で婿の忠恒(のち家久)を後継者に認定しているにもかかわらず、なぜ家督問題が生じるのかという点が、むしろいちばんの難問かもしれません。
その答えはとても難しくて、私には明確にできっこありませんが、いくつか考えられることはあります。

ひとつは、義久と忠恒の仲です。一応、家督に指名したのですから、それなりに関係は良好のはずですが、どうもそうではなかった節があります。よくいわれているのは、義久が忠恒の大名、武将としての器量に疑問をもっていたことです。
それもあるかもしれませんが、私はやはり忠恒が夫人の亀寿との間に男子をもうけられなかったことがいちばん大きいと思っています。2人の間に男子が誕生すれば、義久にとっては嫡孫といってもよいので、もはやその健やかな成人を見守ること以外、心残りはほとんどなかったろうと思います。
義久が忠恒を家督に指名した条件は、男孫の誕生だったのではないかと思います。その条件を忠恒が満たせなかったため、義久との関係がぎくしゃくして、晩年の義久の苦悩が深まったのではという気がします。

義久も人の子で、やはり自分の血を引く孫がほしかったのでしょう。
そこで次善の策として、三女亀寿ではなく、二女新城には男子、すなわち忠仍がいたことが、義久の迷いを増幅させたのではないでしょうか。

しかし、忠恒は豊臣、徳川の両政権から義久の後継者として公式に承認され、官位も四位少将という公家成(国持大名の格式)を遂げ、しかも家康から「家」の一字を拝領して家久に改名するほど、徳川政権から厚遇を受けています。
対外的には、忠恒=家久は文句の付けようがない跡取りです。にもかかわらず、なぜ島津家中で家督問題がくすぶるのか。

それには、戦国以来の島津家中の独自性、自律性が横たわっているようにみえます。
つまり、忠恒の豊臣大名、幕藩制大名としての公的な地位・格式に対して、島津家中の身分・家格秩序が別の論理で動いているからだろうと思われます。端的にいえば、島津本宗家の家長はあくまで義久であり、義久との血統の遠近に価値を見い出し、それが家督問題にとって重要な条件だという意識が家中にまだ濃厚に存在していたからではないかと思われます。

そう考えれば、島津家の内と外をめぐる矛盾、齟齬を何となく理解できるような気がします。

今回の記事も、そうした点を背景として読んでいただければわかりやすいかもしれません。

次回は忠仍=信久の非業の死を書きたいと思います。
一度は義久の家督候補に擬せられた人物が毒殺されるというのは、いやがうえにも興味をそそられます。

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【2011/02/21 18:09】 | さつま人国誌
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「家久の娘」
ばんない
こんばんは。興味深く拝読させて頂きました。後編も楽しみにしております。全然”楽しい”内容じゃないのは知っているのですが…

ところで
>忠仍は義久の隠居領相続も反故〔ほご〕に
>されたばかりか、家久の娘と縁組させら
>れ、その家督は家久の血を引く男子に譲る
>ことになった。
この「縁組」の「家久の娘」とは誰のことでしょうか。御教示お待ちしてます。

家久違い
桐野
ばんないさん

ご指摘の点、うっかりしてました。
家久でも中務大輔のほうでした。えらい間違いです(汗)。



ばんない
こんばんは。

しかし、忠仍の息子・久章の妻は家久(忠恒)の娘ですから、広義で言えば確かに縁組みしてますので、いいことにしましょう(汗)
…それもこれも、忠恒が「家久」なんかに改名してしまったのが諸悪の根源なんですよ。

結論、やっぱり忠恒は悪い!(苦笑)

しかし、普通将軍から偏諱をもらうと「康久」になるはずなんですが、上の文字を拝領したと言うことは、やはり家康にとっても忠恒は利用しがいがあった、ということなんでしょうか。

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この記事へのコメント
「家久の娘」
こんばんは。興味深く拝読させて頂きました。後編も楽しみにしております。全然”楽しい”内容じゃないのは知っているのですが…

ところで
>忠仍は義久の隠居領相続も反故〔ほご〕に
>されたばかりか、家久の娘と縁組させら
>れ、その家督は家久の血を引く男子に譲る
>ことになった。
この「縁組」の「家久の娘」とは誰のことでしょうか。御教示お待ちしてます。
2011/02/22(Tue) 23:12 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
家久違い
ばんないさん

ご指摘の点、うっかりしてました。
家久でも中務大輔のほうでした。えらい間違いです(汗)。
2011/02/23(Wed) 09:38 | URL  | 桐野 #hxjklqKc[ 編集]
こんばんは。

しかし、忠仍の息子・久章の妻は家久(忠恒)の娘ですから、広義で言えば確かに縁組みしてますので、いいことにしましょう(汗)
…それもこれも、忠恒が「家久」なんかに改名してしまったのが諸悪の根源なんですよ。

結論、やっぱり忠恒は悪い!(苦笑)

しかし、普通将軍から偏諱をもらうと「康久」になるはずなんですが、上の文字を拝領したと言うことは、やはり家康にとっても忠恒は利用しがいがあった、ということなんでしょうか。
2011/02/24(Thu) 00:48 | URL  | ばんない #kyBjvhlc[ 編集]
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