歴史作家桐野作人のブログ                                      織田信長と島津氏・薩摩藩・幕末維新を中心に歴史にまつわる身辺雑記
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このところ、帰鹿したり拙著新刊があったりでゴタゴタして、他の話題を書く余裕がなかったが、帰鹿前に戦国史研究会に久々に出席した。

2月24日、同研究会の例会が駒沢大学キャンパスで開かれた。
今回の報告者は香川県在住で、四国の戦国期・織豊期の研究者である橋詰茂氏で、論題は表題のとおりである。

じつは、橋詰氏が新著(博士論文とか)を刊行したばかりで、例会会場で割引販売があるというのが、久しぶりに出かけた一番の動機だった(笑)。
おかげさまで、2割引で購入できました。念のため、データを書いておきます。目次・構成など詳しくはここへ
橋詰茂

著者:橋詰茂
書名:瀬戸内海地域社会と織田権力
版元:思文閣出版
刊行年:2007年
定価:7.200円+税


さて、報告のほうは、長宗我部元親の伊予侵攻に関する新出文書3点の紹介しながら、天正5~12年という織田権力期から豊臣政権初期における伊予情勢を考察するものだった。

元親文書は、伊予国喜多郡(現・愛媛県大洲市)の国人、曽根氏の家に伝来していたものと思われる。そのうち、年次が天正5年(1577)に比定されるものは、長宗我部軍が伊予に侵攻したとき、曽根氏がこれに呼応して大津(現・大洲市)周辺が長宗我部方に平定されたことを示している。

元親の発給文書は知られているものが少ないだけに、貴重な史料紹介だった。

また、当該期の他の元親文書や、河野通直文書、讃岐の香川信景文書なども検討されたが、とくに東予の金子元宅に宛てた香川信景書状の年次について、藤田達生氏が「芸土入魂不相替候」の一節から、毛利・長宗我部の反信長同盟だとして、天正9年に比定している。
これに対して、橋詰氏は同書状中の「芸羽入眼付而境目之儀取々到来候哉」が「芸」=毛利、「羽」=羽柴秀吉であることから、両者の境目が確定するのは、天正10年の信長の死以前には考えられないことから、同書状は天正11年に比定するのが妥当だと述べた。

私もこの藤田説には常々疑問に思っていたので、すこぶる同感だった。

質疑応答で、私は讃岐の国人である香川信景と同之景が同一人物なのかどうかという点を橋詰氏に質した。
『南海通記』には天正3年に、香川之景が信長から一字拝領して信景と名乗ったとある。しかし、橋詰氏は同書の記事を否定して、之景と信景の花押が異なるだけでなく、別の人物と思われる形跡が多々あるので、別人と考えたほうがよいという見解だった。

個人的な関心とも合致した面白い報告だった。
四国の戦国から織田期にかけての一次史料が少ないなかで、今後も一層の新史料の発掘に期待したい。

なお、例会終了後、古くからの友人である大嶌聖子氏に呼び止められ、そのお声掛かりで平野明夫氏から御高著をいただいた。古い友人たちの厚誼は有難くてうれしいが、高い値段の本だけに非常に恐縮した。さっそく拙著を送っておいた。
平野氏の著書もデータを紹介しておく。そのうち、機を見て紹介してみたい。とくに織田期の徳川氏、織田権力との関係などの論考が興味深いのではないかと思われる。詳しくはここへ
平野明夫

著者:平野明夫
書名:徳川権力の形成と発展
版元:岩田書院
刊行年:2006年
定価:9.500円+税



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【2007/03/10 12:09】 | 信長
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